2022/07/05 12:56


帯津良一 氣の養生塾に参加される
「治ったさんスタッフ」Tさんの紹介をします
Tさんは6年前、看護師として忙しく働いていました
そんな中、人間ドックで乳がんが見つかりました
その時のことをTさんは、
患者の病気をケアする職業でありながら
「健康管理を怠った自分が情けなかった(T_T)」と振り返ります

なぜなら
Tさんのがんになる数年前の生活は、
病院の三交代勤務をこなしながら大学に通い
帰宅してからも課題や論文に追わる日々
睡眠時間が少ない上に、気が張ってほどんど眠れない
その上
忙しさにかまけてコンビニ食ばかり
知らず識らずに健康を蝕む生活に陥っていたからです

主治医からは早急に治療を進められますが
Tさんには辛い思い出がありました
それは
父親やいとこなどの親族が
がんの治療も虚しく
次々と他界していくのを目の当たりにして
「がん=死」の構図が染み付いていたのでした
「真面目に治療してもみんな帰ってこなかった❢」

悩み抜いた末に、
腫瘍内科医の伊丹仁朗医師のもとを訪れます
伊丹先生は「いきがい療法実践会」というがん患者の会を主催していて

Tさんは看護学生時代に、授業で
この会に参加している患者さんの体験談を聞いてました
そして
壮絶な体験をしているにもかかわらず、
それを明るく語る姿に感動し
その場で伊丹先生に
「もし、私ががんになったら伊丹先生のクリニックを受診します❢」と言ったそうです

まさか、時が経ちそれが本当になるとは・・
しかしその経験がTさんの運命を分けました

伊丹先生からいくつかの治療法を教えられ
Tさんはその中から
鹿児島の「UMSオンコロジークリニック」を選択します
そこは樹木希林さんも治療した、ピンポイントの放射線治療をするところです

それと同時に
岡山で行われた、がんの養生セミナー「氣の養生塾」にも参加し
はつらつと振る舞う、たくさんの「治ったさん」とふれあい
Tさんの中にあった「がん=死」の思い込みが消えていきました

UMSオンコロジークリニックの受診日が決まり、
いざ、行こうとした当日にアクシデントが起こります
熊本地震が起こり、新幹線が動かなく、
鹿児島に行く手段がなくなってしまったのでした
しかし、諦めきれないTさんは、岡山から神戸まで行き、
幸運にも飛行機のチケットがとれて
受診に間に合いました

そして、翌日から治療が始まりました
その時の心境は
「やっと治療法が定まって気持ちが明るくなった」そうです
一か月間の治療の合間には、鹿児島を散策して
「鹿児島は第二の故郷」と言うほど
思い出の地になったそうです
他の患者さんからは
「あなたは本当に明るいねー」と声をかけられるほど
それは
・親族との辛い別れから身についてしまった「がん=死」の思い込みが消えたこと
・自分が責任を持って治療法決めて、受けられるようになったことが
Tさんの中で大きかったそうです
(標準治療以外の治療法を決めることは覚悟がいりますね)

治療後、帰宅してからは
・大変だった夜勤を減らし
・自分の時間を大切にする
・食事は健康に良いものを自炊
・丁寧に作った弁当を持参し仕事に行く
内面的には、
自分を見つめ直すために続けている「内観」と
がんになった経験が相まって
すべてに「より深い感謝」が生まれるようになったそうです

現在、乳がんから6年経ったTさんは
氣の養生塾に「恩返しができれば」と
「治ったさんスタッフ」として参加してくれます
6年前はがんになった参加者として、
今年は「治ったさんスタッフ」として参加してくださるTさん
「利他の心」がとても嬉しいです
ありがとうございます

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https://ameblo.jp/19971716/entry-12731100663.html